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ぷよぷよの一般人観戦者への要求レベル

by
Rilium
Rilium
正直かなり高いと思います。なのでどのようなことが原因で観戦者側の要求レベルが上がってしまうのかある程度具体化してまとめたいと思います。そんなことないやろって思った方はこの記事を読むのはここまでで結構です。

 まず、一般人に広く浸透しているような球技を例に挙げて考えてみます。

球技→野球、サッカー、テニス、卓球
(きりがないのでこの辺で。)
[視点移動]
 現在日本で広く浸透している球技は、集団競技にしろ個人競技にしろ扱うボールが必ず一つです。試合の状況を確認するにはボールというただ一点の移動を捉えるだけで済むので、見る側にとっては非常に楽な訳です。卓球やバドミントンなど、競技者側はほぼ反射神経で戦うような、どんなに球が速い球技でも観戦者側にとっては関係ありません。人間の目はそこまで悲観するような性能ではないので、一点の移動を追いかけるだけならば競技経験がなくてもわりと可能なのです。要するに、目で追わなければいけないポイントが一つに限られているならば、どんなに展開が速い競技でも観戦者への要求レベルはそこまで高くならないということです。
 その点、ぷよぷよはどうでしょうか。二者が同時に組み上げて、同時に催促対応を打ちあい、本線勝負をする。このとき観戦者が置くべき視点はどこにあるのでしょうか。まさか両方"同時に"見ろなんて言えません。人間は普通眼球を片方ずつギュルギュル動かすことなんてできませんし、人間が集中できる視点は一つだけです。お気づきと思いますが、ぷよぷよは1P2Pと二つの点を実質同時に見なければならないのでこの時点で観戦の難易度が急上昇するわけです。そこそこぷよぷよをやりこんだプレイヤーでないと、どこで、なんの、どんなボールがいつ飛び交うのかどうかも分からないわけです。しかもそこに追い討ちをかけるかのような速いゲームスピード。もうお手上げといった感じです。とても一般人が一人完結で試合を観戦するにはハードルが高すぎます。そもそもぷよらーでも完全に試合を理解して追いきれる自信がある人はそんなに多くないと思います。そこで、実況者という存在が登場します。試合展開が速い球技においては、実況者という存在はまさにこの視点誘導のためにあるようなものですが、喋って伝えるにも時間は限られているわけでして。恐らく今もっとも実況解説が上手いのはtomプロだと思いますが、少なくともそれに準ずるレベルでないと試合展開に喋りが追い付きません。これに解説が入る余地はあるのか。あまりにも速いゲームスピードゆえ、どうしようもないなーなんて思ってしまいます。

[物的やり取り]
 ぷよぷよは一瞬の場面理解が難しいゲームです。いやもちろんぷよらーならここに2ダブがある、3ダブ対応を構えてるなんてことはすぐに分かりますが、一般人にそれができません。連鎖が切れてる、繋がってるなどはそもそも頭にありません。ぷよぷよの催促、対応はテニスでいうボールをラケットで打ち返す行為に似ていて、テニスでは一般の観戦者はボールの動きを追いつつ選手の位置を確認することで試合の流れを追うことができます。しかし、ぷよぷよではそのボールにあたる催促、対応が一般観戦者にとっては文字通り"見えない"わけです。解説者を通して初めてかろうじて状況がつかめるかどうかのラインになります。本来一番ぷよ勝負の醍醐味である連鎖の駆け引きが事実上隠されたまま試合を観戦することになるので、何かしらの誘導がなければ楽しみが半減するのは当然でしょう。(ここが見えるようになるだけで途端にぷよぷよ観戦は楽しくなるんだけどね。)先のトピックでぷよぷよは少なくとも二つの見るべきボールが存在することを書きましたが、ぷよぷよはまた更に追い討ちをかけます。ぷよぷよはこのボールが"目に見えない"のです。目で追わなければならない場所が2倍で、更に隠される。これではぷよぷよが難しいと捉えられるのは当然です。


つまり、ぷよぷよというゲームは一般人が観戦するという点においてハードルがクソ高いわけです。いったいどうしたらいいんでしょうね。ぷよ勝負の世界を手っ取り早く伝えるのは振り返り解説なんかだと思いますが。

適当記事だけど言わんとしていることは伝わったかな?いささか偏った見方はしていると思いますが、私の視点から見るとおよそこんなイメージです。
更新日時:2019/11/02 17:53
(作成日時:2019/11/02 11:50)
カテゴリ
日記
コメント( 3 )
machine322
machine322
2019年11月2日 14時27分

多分ボクシングとかが近い気がします。
 
ぷよぷよの”どこで、なんの、どんなボールがいつ飛び交うのかどうかも分からない”のと同じように、ボクシングも”どこで、なんの、どんなパンチがいつ飛び交うのかどうかも分からない”です。
そんなボクシングでの観戦者の視点は、極端に言えば『応援している選手の表情』と『攻撃している選手のグローブ』の二つです。それだけで楽しめます。足さばきとか見ていれば選手のダメージ量やパンチの威力が正確に分かるかもしれませんが、少なくとも私はそこまで足元見てなくてもボクシング観戦して楽しめます。
であるならばぷよぷよも、応援している選手のフィールドを見つつ、どちらかが発火したらその連鎖を眺めているだけで楽しめると思います。ボクシングで言うところのダメージはお邪魔の量と試合の本数差で分かりますし、パンチの威力もお邪魔の量で正確に分かります。
 
物的やり取りはボクシングもぷよぷよも攻撃を撃ってから『撃ったという事実』が見えますね。撃つまで素人には何も見えません。
”一番ぷよ勝負の醍醐味である連鎖の駆け引きが事実上隠されたまま試合を観戦する”とありますが、それは観戦する人にとっての醍醐味ではなくプレイヤーにとっての醍醐味ではありませんか?観戦者に連鎖の駆け引きの面白さを知って欲しいのは共感できますが、それが見えないと観戦が楽しめないという事は無いと思います。
ボクシングは経験者からすればフェイントによる視線の誘導が無数に行われているのが見えていると思いますが、私は見えません。しかし私はフェイントが見えなくても、観戦中に感じる面白さをパンチの当たり外れや勝敗に置いているので楽しめます。

Rilium
Rilium
2019年11月2日 15時45分

確かに。球技以外には疎いのですが、ボクシングは良い例えですね。

ゆっこ
ゆっこ
2019年11月4日 10時36分

いい指摘だと思います。私も格闘技、格闘ゲームのことが頭をよぎりましたが、手札的な攻防という意味では麻雀の実況にも近いかもしれませんね。

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