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私とぷよぷよについて

by
キバ
キバ
 はじめまして。01の後藤ひとり(自称)こと、キバです。飛車リーグB1へ昇格した機に自分のこれまでのぷよとの関わり、今の自分のぷよのスタイルと今後の課題についてまとめていければと思います。長文ですが小説かラノベだと思って楽しんでいただければ幸いです。

1.ぷよとの出会い
 初めてぷよぷよに触れたのは小学校3年の頃、一緒に学習塾に通っていた子のガラケーのぷよぷよフィーバーを遊ばせてもらった時です。体験版なので甘口ルール、しかも弱いCOMとしか対戦できませんでしたし、当時の私は何も分からない状態でひたすら適当に積んでフィーバー待ちをすることの繰り返しでした。しかしそれでも僕にとっては満足いく遊び方だったのでしょう。
 ぷよぷよへの興味は留まることを知らず、当時まだ最新鋭ゲーム機だったWiiでぷよぷよ20周年を遊び始めます。これにすっかりハマってしまった私はフィーバーから始まり、あらゆるルールを遊びまくりました。ちなみに1番好きだった遊び方は氷漬けを2ターンで溶けるようにしたものです。まぐれ大連鎖を見るのが好きな自分にとってうってつけでした。しかし通ルールに限って言えば、狙って組めるのは4連鎖が限度。小学生の頃の私はお世辞にもガチ勢とは程遠いものでした(一般的に見れば上手い方ではあったと思います)。
 しかし継続は力なりとはよく言ったもので、フィーバーをやり続けるうちに操作スピードはかなり速くなっていました。中学受験等もありなかなか時間は取れませんでしたがネット対戦にも最低限抗える地力は着実についていきました。

2.井の中の蛙①~ガラケー編~
 中学生になり、悪知恵のついた私はガラケーのセキュリティを突破し様々なゲームを遊び出しました。カイロソフト、にゃんこ大戦争、そしてもちろんぷよぷよも含め、以降10年以上に渡って自分の柱になるような大事なゲームと数多く出会いました。それがきっかけで金銭的に痛い目を見ましたが…
 ぷよぷよに関しては、またしてもガラケーでぷよぷよフィーバーのネット対戦アプリをやっていました。Wiiで3年鍛えたぷよはちゃんと通用し、ほどなくして県TOP10ほどにランクイン。しかし、そこから全国のガラケー猛者との実力差に直面。自分より強い人間との初めての戦いで心が躍ったのを今でも覚えています。その当時どんなぷよをしていたかはあまり覚えていませんが最終的にGTRから大連鎖を狙うようにもなり実質的な県1位まで上り詰めました。しかしついぞ互角以上に戦えなかった人も何人かいました。自分が8連鎖を組んでいる間に12連鎖くらい組まれるのでそりゃ何やっても勝てませんよね。それらの方が今もぷよぷよを楽しんでいるといいのですが今となっては確認するすべもありません。

3.井の中の蛙②~スマホ編~
 中学3年生の秋になってやっとスマホデビュー。現代では勿論、当時でも相当遅い部類でした。ある日AppStoreでぷよぷよと検索すると、某顔文字の人の動画で一気に知名度を増した「ぱやぱや」と遭遇。当時Youtubeを本格的にガッツリ見始めた私はGTRとその連鎖尾を更に練習し、レート戦で実践を重ねていきました。写真フォルダにわずかに残っていたスクショを見る限り、高校2年生の頃にはとこぷよ(とこぱや)で16連鎖を打てるまでになっていたようです。レート戦でも鉤積みとGTR、また下の写真のような独自に習得した連鎖尾を駆使してトップランカーと言い張れるレベルには立っていました。ちなみに今から見返すと赤の暴発が怖いですが少し組み替えたり鉤折り返しにすれば解決する上、連鎖尾の暴発も少ないのでツモ次第ではお勧めできるかもしれません。

 ぱやぱやはクイックドロップに近い動きができるため本線が強くなりがちなゲームバランスで、基本的には中盤のことは何も考えず自陣ガン見で本線を組むことが多かったです。しかし、どんな環境にも猛者はいるもので、きっちり中盤で咎めてきたり、甘えた本線を余裕綽々と打ち返してきたりするなど自分の弱さを突いてこられることも多かったです。しかし自分のことを範馬勇次郎と勘違いしていたのでしょうか、私は「それら全てを圧倒的本線で黙らせる」ことを目指し中盤の特訓にはあまり力を割きませんでした。当時だとおいうリーグでのまはーらさんの火力に憧れてそれを追い求めていたのかもしれません。ちなみに浪人期までずれ込みますが当時のプレイをYoutubeに残してあるので鼻で笑っていただけると助かります。(https://youtu.be/9n9PUdIVEM4)
 スマホでお山の大将をやっていた私ですが、Youtubeからプロ界やそれに繋がるぷよぷよの世界は目に入っており、それに混じってみたいと思い喉から手が出るほどぷよぷよeスポーツの購入を渇望していました。しかしswitchは無産市民の私には非常に高価なものでした。

3.真のぷよらーへ
 
転機が訪れたのは2022年です。自衛隊の予備自衛官の訓練(日当付き)に少しだけ参加した私の手元に日数分の手当4万円がやってきました。(完全に余談ですが予備自衛官補の教育訓練はかなり実になることが多いので集団生活に極度の抵抗が無いのなら休みを利用して参加してもいいと思います。)かねてより日当をswitch購入に回すことを公言していた私はそれを実行。そして既に購入していたソフトを挿し込み、ぷよぷよeスポーツの扉を開けました。しかし最初は慣れてないジョイコンの操作に大苦戦。付属のグリップに取りつけてプロコンのような状態でやるも回しの方向を完全に染み込ませるまでには半月ほどもかかりました。そのせいでやり始めた当初はレート2700程度で停滞するありさまでした…。
 そんな中2022eスポーツ国体栃木の地方代表決定戦が開催されます。私は堺のイオンモールまで観戦に行きました。当然初めてのオフイベント参加で、多くの出会いと興奮を全身で享受できました。いつかここに選手として立ちたい。その願いを目標へと強め薄暮の大阪を後にしたときの気持ちは今でもぷよぷよを続ける原動力になっています。ちなみにともくんはちっちゃかったです。
 その後はswitch購入前からファンになっていたDIOさんの配信でスナイプを繰り返したり、ひたすらレートに潜ってみたりを経て、2022年冬から飛車リーグへ参戦。この頃にはレート2900は安定するようになっており、B2が妥当だろと思って申請したらこれがジャストヒット。勝ったり負けたりを繰り返すことになります。連戦を繰り返すことで中盤の対応力、伸ばしきり確実に勝ちを引き寄せる力、それらの思考時間を長くとるための凝視力を着実に伸ばしていけたと思っています。今年4月の飛車リーグでは史上最悪のティルトをかましてポイントが振り出しに戻りましたが、そこから2か月連続で全勝し7月からついにB1に昇格するのは冒頭で話した通りです。

4.自分のぷよスタイル
 ぱやぱや時代からの名残で本線に強めのこだわりがあります。しかしレート戦で早い中盤に潰された経験がとても鋭利なトゲを以って私の心に刺さっているので対抗して自分も早い中盤手を打つことも多いです。去年は中盤手を打つまでの過程で相手の状況を把握する余裕がほぼ無く、「自分の形が良くなるから打つ」「単純に2ダブ2トリは強いから打つ」といった思考回路のもと中盤の手を繰り出していました。それが上級者相手にどうなったかは言うまでもありません。
 今年の春になってからは明らかに立ち回りに余裕が表れ、構えた中盤手を相手の動きに合わせて組み替えると言ったことも成功するケースが増えてきました。強者に粉砕された反省ももちろんですが、プロの配信を見てぷよの捌き方の流れをつかんでいったこともしっかり血肉になっています。その結果ぴぽにあプロの影響をもろに受けメリ土台とfron積みをよく使うようになり、最近は鶴亀を使って連鎖尾を迷わず成型できるようにもなりました。謎の思い違いからぢ尾を建設することもままありますが…
 目下の課題としては「全体的な技術の向上」でしょう。ぴぽにあプロのお悩み相談室でのアドバイスなどを取り入れた結果連鎖構築の精度は9万点クラスを頻発するなど格段に向上し、中盤の戦闘力も当初からは見違えるほど伸びました。しかし最上位プレイヤーには中盤でも本線でも、更にセカンドでもなすすべもなく斬って捨てられる現実に変わりはありません。いや偶に正面から勝ててるから少しは変わってるか。ともかく勝率は著しく低いです。ここはもう実戦を通して肌という肌からありったけのセンスを吸収していくしかないでしょう。飛車リーグももちろんそれができる機会ですが、それ以外の大会にも出るようにすることも大事になってくるのかなと。
 やはり井の中の蛙は大海に飛び出すことで無限の可能性を持てます。気軽に飛び出せる今の中学生小学生がその恩恵を目いっぱい受けて育ってくれると嬉しいですが僕がそれ以上成長しないといけなくなるので自分で自分の首絞めてて草

 最後に私的な連絡。教育実習で秋は多忙を極めるのですが、予選の結果に関わらず月の地方代表決定戦は足が棒になっても行きます。去年会った方ともそうでない方とも話せればいいなと思っているのでよろしくお願いします。
 
作成日時:2023/06/27 23:50
カテゴリ
日記
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