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ぷよぷよというゲームをプレイするにあたって知っておいたほうがいいかもしれない知識や、知っていても別に強くなるわけではない知識や、そもそも知る必要があるのかすら分からない知識や、試合開始前から試合終了後までの間に発生するあらゆる出来事について、メンタル・操作・連鎖・ツモ・盤面・相手・コントローラー・姿勢・呼吸・集中力・運・実力・GTR・置きミス・ネクスト・体幹・水分補給・画面との距離・ぷよの色・ぷよの位置・ぷよを置くときの気持ち・負けたときの言い訳・勝ったときの謎の自信などを必要以上に真剣に考察し、最終的に

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ぷよぷよを始める前にまずコントローラーを持つ。ここで重要なのは、コントローラーを持つという行為そのものには一切ぷよぷよの技術が含まれていないということである。しかし、コントローラーを持たなければぷよぷよはできないので、結果として非常に重要である。
ぷよぷよを起動する。起動した瞬間にタイトル画面が出る。ここで既にぷよぷよは始まっているような気がするが、実際にはまだ始まっていない。この「始まっているようで始まっていない時間」がぷよぷよにおいて極めて重要である。
対戦前に「今日は調子がいい」と思う。しかし調子がいいかどうかはぷよを置くまで分からない。つまり調子がいいという感覚は、ぷよぷよにおいてはかなり信用できない。
逆に「今日は絶対弱い」と思う日もある。しかし、その日に限って妙にツモが良かったりする。つまり自分のコンディションとぷよぷよのツモは全く関係ない。
ぷよぷよを始める前に水を飲む。水を飲んだからといって連鎖が伸びるわけではない。しかし水分不足は普通に集中力に影響する可能性があるので、結果的に飲んでおいたほうがいい。どうでもいいようでどうでもよくない。
コントローラーのボタンを一度全部確認する。「Aはこれ、Bはこれ、右スティックはこれ……」と確認する。しかし毎日ぷよぷよをやっている人間がこれをやると、逆に不安になる。
試合開始直前に「よし」と言う。誰に向けて言っているのかは分からない。自分に向けているのか、相手に向けているのか、ぷよに向けているのかも分からない。しかし言いたくなる。
ぷよが降ってくる。最初のツモを見る。「赤青か」と思う。赤と青であることを確認しただけなのに、なぜか少し賢くなった気がする。
次のツモを見る。黄色緑だった。「なるほど」と思う。しかし何がなるほどなのかは本人にも分からない。
ネクストを見ているとき、視線が一瞬だけぷよから外れる。その一瞬でぷよが落ちている。ぷよぷよは時間に厳しい。
ぷよを置く。「よし」と思う。次のぷよを見る。「あっ」と思う。さっきまで考えていた計画が崩壊する。
「このツモなら完璧」と思っていたところに、欲しかった色が来ない。ぷよぷよは希望通りに来ない。人生も同じである。
逆に「このツモは最悪」と思っていたら、なぜか都合よくハマる。ぷよぷよはたまに人間の期待を裏切る方向に裏切る。
ぷよを置くとき、ほんの少しだけ迷う。「左かな……右かな……」と考えている間にもぷよは落ちる。ぷよぷよは意思決定の速度を要求してくる。
「今の判断は正しかったのか?」と考える。しかし次のぷよが来る。反省会をしている暇がない。
ぷよぷよは反省を許してくれない。少なくともリアルタイム対戦中は。
試合終了後に「今のは完全に俺のミス」と思う。しかし録画を見返すと、実際にはその5手前から既に盤面が怪しい。
さらに録画を見返すと、もっと前から怪しい。
さらに見返すと、開幕から怪しい。
最終的に「そもそもぷよぷよを起動したのが間違いだった」という結論になる。
ぷよぷよをやっていると、「今の一手が悪かった」と思うことが多い。しかし、その一手だけを見ると悪く見えるだけで、実際にはその前の選択が原因だったりする。
つまりぷよぷよでは、ミスがミスを呼ぶ。
そしてミスが積み重なって、盤面がどうしようもなくなったところで、「なんでこんなことになった?」となる。
しかし、その答えは大抵、自分である。
ぷよぷよでは「置きミス」という非常に悲しい出来事が存在する。
右に置こうとした。
右を押した。
行きすぎた。
終わった。
人生。
「一列だけ右に行きたかったのに二列行った」
これだけで人間はかなり悲しくなれる。
逆に「あと一列動かしたかったのに動かなかった」というのもある。
ぷよぷよの一列は、人間関係より重要なことがある。
ぷよぷよでは一つのぷよの位置が変わるだけで、その後の連鎖が成立したりしなかったりする。
つまりぷよ一個の位置が非常に重い。
しかし画面上では小さい。
非常に小さい。
なのに人生を左右する。
ぷよは小さい。
責任は大きい。
ぷよぷよをやっていると、ぷよ一個に対して「お前そこじゃない」と思う瞬間がある。
しかし悪いのはぷよではない。
操作した自分である。
ぷよには罪がない。
ぷよはただ落ちてきただけである。
ぷよぷよの最も理不尽な瞬間は、「欲しい色が来ない」ことである。
しかし冷静に考えると、欲しい色が来ないのは相手も同じ条件である。
つまり文句を言っている場合ではない。
ぷよぷよは運と実力が絡むゲームなので、ツモに対して怒ることはできるが、ツモを変えることはできない。
できることは、来たぷよをどうするかだけである。
つまりぷよぷよは人生である。
突然人生論になる。
ぷよぷよをやっていると「この盤面はまだ大丈夫」と思うことがある。
そして3秒後には全然大丈夫ではなくなる。
逆もある。
「終わった」と思った盤面から、なぜか連鎖が発火する。
ぷよぷよは最後まで分からない。
だから最後まで諦めてはいけない。
しかし、どう見ても詰んでいるときは諦めてもいい。
ここが難しい。
ぷよぷよでは「粘る」と「無駄に延命する」の境界がよく分からない。
一見すると連鎖を組んでいるように見えて、実は何も起きていない盤面がある。
これを本人は「構築」と呼ぶ。
他人から見ると「積んでるだけ」である。
ぷよぷよの積み方には名前がついている。
階段積み。
鍵積み。
GTR。
なめくじ。
だぁ積み。
挟み込み。
など。
名前を覚えるだけで、なんとなく上級者になった気分になる。
しかし名前を知っていることと組めることは別である。
GTRという言葉を知っている。
GTRの形も知っている。
でも実戦になると組めない。
これは普通。
むしろ全員一度は通る。
「GTRを覚えたから強くなった」と思う。
対戦する。
組めない。
終わる。
「GTRって難しいな」と思う。
この繰り返し。
ぷよぷよでは知識が増えるほど、逆に自分の下手さに気づくようになる。
初心者のころは「4つつなげれば消える!楽しい!」だったのに、知識が増えると「このツモならここを伸ばして……」などと考え始める。
結果、楽しく悩む。
ぷよぷよは考えるゲームである。
しかし考えすぎると時間が足りなくなる。
考えなさすぎても負ける。
つまりちょうどよく考える必要がある。
この「ちょうどよく」が一番難しい。
ぷよぷよを長時間やると、ぷよが夢に出てくることがある。
実際にぷよが落ちてくる。
寝ているのに盤面を組んでいる。
起きる。
何をしていたのか分からない。
しかし脳はぷよを組んでいた。
ぷよぷよをやりすぎると、日常生活でも四つ同じものが並ぶと「消える」と思ってしまう。
机の上に同じ色のペンが4本ある。
「これは消えるな」と思う。
消えない。
現実はぷよぷよではない。
スーパーで同じ商品が4個並んでいる。
「消えそう」と思う。
消えない。
現実は厳しい。
冷蔵庫の中に卵が4個ある。
消えない。
むしろ食べる。
ぷよぷよとは違う。
ぷよぷよをやっていると、色の組み合わせを見る癖がつく。
赤と青。
青と緑。
緑と黄色。
黄色と赤。
この4色が頭に入ってくる。
そして「次は何色だ?」という視点になる。
日常生活ではそんなことを考える必要はない。
しかしぷよぷよでは必要である。
ぷよぷよをやっていると、「4」という数字に妙な特別感が出てくる。
4個。
4連鎖。
4色。
4列。
4つ。
しかしぷよぷよにおいて重要なのは必ずしも4だけではない。
3個でも形になる。
2個でも連鎖の種になる。
1個でも邪魔になる。
つまりぷよ1個の価値が状況によって変わる。
ぷよぷよは奥深い。
ここで急に格言っぽくなる。
「ぷよは数ではなく位置である。」
意味はよく分からない。
でもそれっぽい。
ぷよぷよでは「置き場所がない」という状態がある。
盤面が埋まる。
置けない。
ゲームオーバー。
これだけ。
しかし、その「置けない」という状態を防ぐために何百手も先を考える。
冷静に考えるとかなり大変である。
たった12列程度の盤面を見て、人間が何十手も先のことを考えている。
しかも相手も同時に考えている。
ぷよぷよは冷静に考えるとかなり怖いゲームである。
画面の中では色付きの丸が落ちているだけなのに、裏では高度な情報処理が行われている。
そして負けた瞬間、全部ただの「ぷよ」になる。
「負けた」
終わり。
数分前まであれだけ考えていたのに、結果は一行。
ぷよぷよは儚い。
でも楽しい。
だからまたやる。
そしてまた負ける。
そしてまた「今のは勝てた」と言う。
そしてもう一戦する。
これがぷよぷよである。
作成日時:2026/08/25 02:14
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