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Number風にぷよぷよを語る。 BOX

by
横えび
横えび
コロナじゃまぷよ、世界への爪痕。
金沢岐阜名古屋大阪、それぞれの6月。



辞令は突然に。西日本最強集団へ。

 2020年2月某日。能登半島から岐阜県南部への異動指令が下った横えび氏は、8年間所属した再老舗団体ことIPS(石川をぷよぷよで染める会)を3月いっぱいで卒業。転居と同時に、なごやんぷよの会へ移籍することとなった。転居先周辺は公営競馬場とJRA競馬場アーケードぷよ環境が健在で、また3月末には岐阜新聞社大会が開催されることになっていた。引越しの手間と新しい仕事、そしてコロナ感染に若干の不安を抱きつつも新天地での活動、美濃尾張を両にらみに何かできないか考え始めた。

 しかしながら皆さんもご存知の通り、同時期は世界全土がコロナウイルス禍に苛まれつつあった。3月は藤江対戦会ハローワールドゆるぷよ会開催中止、IPSは通常開催からオンライン対戦会に変更、BOX.Q3マスターズ大会は無期限延期、関西ぷよぷよ道場や蕨デイトナⅢは休業、上野BPTは開催休止、松戸ソニックビームはラスト対戦会を行うことなく閉幕、筑波ジャムつく対戦会&大会は休止&延期、岐阜新聞社大会は6月に延期、チャンピオンシップその他各種イベントも軒並み延期もしくは中止決定、etc. etc.
 そうこうしている内に新旧生活圏、すなわち石川岐阜愛知三県は首都圏と同様、全国に先駆け緊急事態宣言発令。大都市アーケード店舗は通常営業すらできなくなり、昨秋の危機をはるかに上回る仕儀と相成った。❝コロナ前❞にはいつ戻れるのか、公式イベントは、国体は、そしてぷよぷよ30周年はどうなるのか。それに答えられる人間は、現時点でもまだいないのではなかろうか。



 2020年3月7日。GAME BOX.Q3


オファーは唐突に。初のぷよスポAC配信。

 転居直後は仕事どころか外出もままならず、オフライン活動中心の小職には極めて息苦しい状態となった。社会人20年選手のため生活に困るまでには追い込まれなかったが、実家からは無期限帰還禁止令を頂戴したため、ゴールデンウィークは32年ぶりに首都圏外で過ごすこととなった。各種レジャー業界従事者の方々や休業離職を余儀なくされた方、就職もしくは進学で新年度上京された方々の各種ご心労は、察するに余りある。

 緊急事態宣言解除から程ないある日。マスクその他買い出しで可児市に出かけた小職は、帰りにぷよスポAC稼働店ことGAMEタカラ島可児店へ立ち寄り、その場でぷよぷよeスポーツ配信の提案を受けた。提案されたRYO店員とはもちろんタカラ島メンバーとは誰とも面識がなく、また同店が配信実施店とは知らなかったためプレイ中の唐突オファーには少し戸惑ったが、話も聞かず断る選択肢は存在しない。レバー設定を8方向から4方向へ、マッチング時間は3分から5分に延長することを条件に引き受けることとし、帰宅後に再度細かく打ち合わせた。
 幸運だったのはRYOさんがコンパイル時代以来のぷよぷよファンで我々の活動に深い理解があったこと、不運だったのはぷよスポAC動画がほとんど存在しなかったことだろうか。分単位で量産されるコンシューマー版ぷよスポ動画に対しアーケード版のそれはサンプルがかなり少なく、全国対戦動画に至ってはぷよぷよフィーバー勢がひとりおられるだけという有様。連鎖インフラを生み出す試みは​初めてではないとはいえ、前例のないイベント実施はかなりの不安要素があった。
 コロナウイルスの影響もあり岐阜ぷよガチ勢とは会う機会がなく、地元勢とは連携のないまま開催せざるを得なかったのは痛かった。「時期尚早だ」とブーイングが飛んだら?配信を見てくれる人は?コメントはいただけるのか?他のぷよイベントとバッティングしたら?対戦相手とマッチングせず、ライフを削られるばかりになったらどうするのか??



 建物老朽化により立ち退き決定、6月14日閉店告知。
  (画像提供 : 関西ぷよぷよ道場)



取り戻す日常、それぞれの6月。

 2020年6月14日。初回配信日は奇しくも中止が正式決定した岐阜新聞社大会、そして関西ぷよぷよ道場最終営業日と同日であり、また4度目となるIPSオンライン対戦会開催日でもあった。

 ぷよぷよ史上初?ぷよスポAC、全国対戦店舗配信。4時間強で2本先取ランダム対戦を46試合&各種雑談。普段の小職は固定IDなし(さすらいのぷよらー)でプレイしているが、この日は宣伝も兼ねて店舗名称のAimeカードを用意した。タイムオーバーのライフ浪費は少なかったものの対戦相手のレートはばらつきが多く、名前付きアカウントは小職を含め3人のみ。全対戦のうちちょうど半分、23試合はBOX.Q3勢との半連戦であった。
 小職の「素晴らしいプレイ(?)」&ハチャメチャトークは片目を瞑って見ていただくとして、進行を担当されたRYO店員のぷよぷよ愛溢れる解説は初ぷよ実況とは思えず、横で聞いていて涙が出るほど嬉しかった。またRYOさんが用意された各種原稿は、完璧で直す必要のないものであった。(詳細は、(↓)の配信アーカイブをご参照ください)
 開始時刻が早かったためか、対戦相手が見つからぬまま5分経過し1ライフ目を削られたのには少々焦った。しかしながらそれ以外は、良くも悪くも自分らしさを出せたのではないか、と思う。また配信してみて改めて痛感したが、対戦相手の地域が表示されないことや対戦時間が表示されないこと、マッチング待機中及び対戦時のBGMが一種類ずつしかないのはやはり寂しい。こちらについては、すみやかに改善をおねがいしたい。

 ぷよぷよチャンピオンシップやぷよぷよファイナルズ SEASON2は本日から再開し、連鎖界内外は徐々に日常を取り戻し始めた。GAMEタカラ島可児店のぷよぷよeスポーツアーケード、セガALL.NET筐体はぷよスポAC専用に改装され、常時4方向レバー&5分マッチングとなった。外出自粛が続き首都圏関西金沢その他地域へ足を運べないのはつらいが、しばらくは足元をしっかりと固めていきたい。
 次回タカラ島配信は、7月18日(土)午後を予定しています。今回はぷよ通対戦を繰り返すのみでしたが今後は地域性やアーケードの特性を活かした実施を考えており、何店かから前向きなご連絡をいただいております。現状はまだまだ手探り状態ですので、盛り上げるアイデアや現地で協力を申し出ていだける方がおられましたら幸いです。



(ここから先は余談)
 1997年5月3日。20歳の横えびくんは始発電車で横浜実家を出発、鈍行電車をひたすら乗り継ぎ名古屋千種駅前のゲームセンターパシオン、NPA(名古屋のぷよ通を熱くする会、なごやんぷよの会の前身)対戦会に参加しました。この日は岐阜のアルコール先生dis選手(当時高校生?)のご厚意で、dis邸に無料宿泊。夜中はゲームギア版ぷよぷよ通であと乗せサクサクを喫しボコられ、翌朝はセガサターン版ぷよぷよ通2色32個消しルール(固ぷよ&得点ぷよ)でボコられました。
 翌日は岐阜駅前のゲームセンターあんくるTOM(現・インドカレーツルシ神田店)臨時対戦会へ。少し(かなり)無理を言って電話で岐阜勢に集まっていただき、GTRの聖地にてGTR宗家、タナカッチ師匠とガチ対戦できたのは嬉しい思い出でございます。
 翌日から大学が再開するため夕方の新幹線で横浜に帰還したのでございますが、これはdis邸宿泊で交通費が浮いたからでございまして。これがなければ名古屋で野宿、もしくは帰りも鈍行電車をひたすら乗り継ぐ他ありませんでした。現在より時間と体力があったとはいえ往路で少なからず消耗しておりましたし、スマホはもちろん携帯電話もSNSもない中で無茶をしたなあと感慨深いものがございます。


(余談通)
 前稿で紹介しました🏇武豊&アイスストーム号は5月23日、東京競馬メイン競走ことメイステークスに勝利。可児配信会と同日の6月14日は東京競馬場GⅢ、エプソムカップに出走しました。同競走は配信開始直後の出走だったため小職は生観戦することができず若干ヤキモキしておりましたが、この日は雨天後の不良馬場に足を取られたかいいところなく14着大敗。府中1,800メートルは前走と同条件でアイスストームの庭だったハズでございますが、なかなかに厳しい!

 さらば谷町九丁目、さらばK1バトルスタジアム。また来るまでは・・
  (画像提供 : 関西ぷよぷよ道場)
更新日時:2020/06/24 22:54
(作成日時:2020/06/20 22:02)
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