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Number風にぷよぷよを語る。 Fever

by
横えび
横えび
キャリア唯一のセガ直営店。
秋葉原GiGOの記憶、ぷよぷよフィーバー & ぷよ通対戦台。




 2003年10月1日。小職の東京都異動と同日、第一家電本店跡地にオープンした千代田区の秋葉原ギーゴ(2017年に、セガ秋葉原2号館へ改称)6階に、ぷよぷよ通対戦台が設置された。
 当時はぷよぷよ新作リリースが秒読み状態で、アーケード版新作のセガ系列店稼働が確実視されていた。職場(錦糸町)・下宿(船橋)共に総武線沿線となった小職は、IPS(石川をぷよぷよで染める会)へ移籍する2011年度末まで、秋葉原GiGO及び秋葉原Heyにて七転八倒の日々を送ることとなる。
 3週間後の8月30日にセガ秋葉原2号館が閉店することとなったため、当時の出来事を五月雨式に書き連ねてみた。現在同店ではぷよぷよシリーズは稼働しておらず、コロナ自粛もあり2号館やセガコラボカフェへ駆けつけることはできないが、往年の懺悔録にて少しでも穴埋めできれば幸いである。(以下のエピソードは、すべて匿名かつ時系列ランダムです。紹介人物のうち3人は後年プロライセンスを獲得していますが、どれが誰なのかは皆さまのご想像にお任せいたします)



・1プレイ100円の足枷。
 現在は多少緩和されたものの、当時の電気街ゲーセンは店舗を問わずビデオゲーム新作はもちろん、レトロゲームも1プレイ100円という不文律が存在した。ぷよぷよシリーズも例外ではなく、ぷよぷよフィーバーはもちろんぷよ通も初代ぷよぷよも1プレイ100円。フリープレイなどなかったため、学生はもちろん若手社会人(当時の小職は20代でした、若かったのです!)勢には少々敷居が高かった。オープン直後のGiGOぷよ通対戦台は、2本ではなく1本先取&8方向レバーという鬼仕様。流石にこれは直してもらったものの、100円玉で1回しかぷよれない足枷は、後々までアキバぷよ勢を悩ませることになる。
 ぷよぷよフィーバー東京大会(後述)からほどない、ある日曜日。若手強豪氏と小職の間に、突発150連戦が勃発した。途中から小職が6本ほどリードしていたものの100円2本先取は壮絶な消耗戦、お互いに両替要員(?)を抱え引くに引けないチキンレース。最後は小職の財布が全消しとなりギブアップ、今考えてもオソロシイ金額が消えてしまう結果に。先方はまだ続けたかったらしく、「本数を逆転するまで、自分からやめるつもりはなかった」とのこと。また翌年、進学で上京間もない別の強豪氏と90本ほど連戦し、この日はわずかに負け越し。強い子がいるなあと驚きつつ声を掛けたが、会話がどうも噛み合わない。大学1年ではなく附属高校1年生とわかり、二度びっくり。



・人種の坩堝、新旧ぷよらーの坩堝。
 2004年8月にゲームinナミキ明大前が閉店し、その後しばらく秋葉原GiGOは都内唯一のぷよ通対戦台稼働店だった。そのためネット対戦勢の会合やイベント上京組の臨時対戦会は秋葉原で行われることが多く、現地勢としてその余禄に預かったことも何度かあった。コンパイル世代が現役復帰したり10年以上ぶりに再会できたことも何度かあり、旧世代生存者としては慶賀の至り。
 秋葉原の有名ゲームショップが路上(!)メガドライブぷよぷよ通大会を開催した時は、豪華賞品を抱えた優勝者&準優勝者を含め30名近くが秋葉原GiGOへ殺到し、店員や小職は嬉しい悲鳴。しかし・・

 「面子が増えたのはいいけど・・
 あの某有名選手、エスカレーターで何やってるの?」
 「な、なんでしょう・・・・? 鬼ごっこ??」



・アイドルマスター旗艦店として。
 バーチャファイター5、三国志大戦、バーチャロンフォース、ガンダム戦場の絆、艦これアーケード、etc.。アーケード新作が次々リリースされる同店にあってひときわ異彩を放っていたのが、先日15周年を迎えたバンダイナムコ看板タイトルこと、THE IDOLM@STERだった。秋葉原GiGO側の入れ込み方は尋常でなく稼働初日から16台同時稼働、全国からプロデューサーが殺到し全盛期は驚異の20台稼働。これにとばっちりを受ける形になったのが他ならぬぷよぷよ勢で、ぷよぷよスペースはアイマス大音量ソング&BGMがこれでもかとばかり、常時ジャイアンリサイタル状態に陥った。
 小職を含めアキバぷよ勢の多くはアニメやアイドルに興味がなく、某若手選手などは「勘弁してください横えびサン、コレがどうにかなるまで俺ここには来ないッす!」と苦情涙目。小職も文字通りの意味で夢に出てくるほどプレイに支障をきたしていたため、「非プレイ時は消音するか、せめて音量を絞ってほしい」と要望を出してみたものの事務所の力は絶大であった。翌年の店舗改装でぷよ通対戦台が6階から4階へ移るまで、アイマス台風禍を頂戴し続けざるを得なかった。
 後年、ニコニコ動画にてぷよぷよ初代勢を中心にぷよm@sブームが発生するが、小職はこれを複雑な気分で眺めることとなる。またアイドルマスターと同居開始2ヶ月後に、ぷよぷよフィーバー対戦台は撤去(稼働終了予告⇒仲良し台になることなく他タイトルと交換)された。インカム不足はやむを得ないことだが、アイドルマスターと別フロア稼働だったらもう少し長く稼働できた、かもしれない。



・極端なインカム至上主義。
 SNS普及前の2000年代半ば。90年代的思想に毒されまくっていた小職は現代では考えられない、否当時もブーイングを浴びまくった脳内指針を徹底した。すなわちトータルインカム最優先(大会不開催,値下げやフリープレイはしない)、遠征やネット対戦は必要最小限、連絡手段を限定(携帯電話不所持,回線環境は横浜実家かネットカフェ)、etc.
 暴論承知で回想すると秋葉原&セガブランド依存路線は今でも正しかったと信じているし、面倒な思いをさせてしまった当時のメンバー諸兄には申し訳なかったと(少しだけ)思っております。



・アキバグルメ、古今東西。
 秋葉原は電気街と同じかそれ以上にやっちゃば、食の街としての側面が存在する。
 アキバヨドバシ秋葉原UDXを中心に、当時我々が通っていた店舗名(閉店済を含む)をここに記す。

 カレー ゴーゴーカレー,インドカリーダイニング
 和食  かんだ食堂,とんかつ浜勝,すずや,うな匠,ゆかり
 中華  九州じゃんがらラーメン,万豚記
 洋食  須田町食堂,サイゼリヤ,キッチンジロー
 酒場  秋葉原A-Button
 焼肉  本陣,福寿,肉の万世,但馬屋



・ぷよの日ぷよの年、ぷよぷよフィーバー東京大会。
 株式会社セガは2004年を“ぷよの年”と銘打ち、毎月24日に各機種でぷよぷよフィーバーを発売。また同年2月から3月にかけて、都内4店舗(池袋GiGO,シントクセガ,新宿スポーツランド,秋葉原GiGO)にてぷよぷよフィーバー東京大会を開催した。決勝大会の舞台となった秋葉原GiGOでは、フロア丸ごとぷよぷよ仕様に改装する(特設ステージ設置,ぷよぷよフィーバー対戦台6セット,ぷよ通対戦台1セット,初代及びぷよぷよSUN稼働,etc.)という気合いの入れよう。出場者や取材も多く、大会前後はかなりの賑わいだった。
 しかしながら、東京以外の地域セガ大会は何故かその後開催されることなく無期限延期。「次は我々の番」と腕を磨いていた西日本フィーバー勢は、肩透かしを喫する形になった。セガ主催のAC版大会は2011年のぷよぷよ20周年大会、新作は10年後のぷよぷよ!!クエストアーケードまでリリースが止まることになる。首都圏にはセガ系列店以外にもぷよぷよフィーバー対戦台が何店舗か存在したが、盛り上がりを欠いたまま徐々にフェードアウトしていった。PC版ぷよぷよフィーバーで無料ネット対戦可能だったとはいえ、惜しまれてならない。



・あの惨劇の日。
 日本犯罪史に残る血のアキバホコ天、忌まわしき連続殺傷事件。昼過ぎに警察が犯人を確保したため、アキバぷよらーは(いつもより人数は少なかったものの)夕方から小職を含む4人が集まった。この日は当然ぷよ勢はもちろん秋葉原にいた全員が同一話題に集中するかと思いきや、肝が据わっていた某若手氏は開店ダッシュからの音ゲー(カードゲーム?)に興じ、夕食まで一度も外に出ていなかった。プレイに集中していたとかで外の様子に気付いておらず、我々の話を聞き飛び上がることに。
 後日何名かの方に「あの日の対戦会は中止すべきだったのでは」と指摘されたのだが、先述のとおり当時の小職は携帯電話を持っておらず緊急連絡できる態勢になかった。流石に反省しております。



・アキバ活動、思わぬ余波。
 都内勤務時は秋葉原対戦会が最初で最後の活動になった&その後地方勤務(群馬⇒石川⇒岐阜)が続いているためか、小職は秋葉原がいろいろな意味で大好きと少なからず(?)誤解を受けております。また当時は小職もまだ若く、特に首都圏遠征時やなごやん移籍後は往時のアイタタタ言動をネタにされ漏れなく無事悶絶死に至る案件が相次いでおります。
 当時のことを好意的にお声掛けいただくのは大変ありがたいのですが、
ど、どうか現在の活動にもご注目いただきたく・・


 セガ秋葉原2号館は後年、秋葉原泊地ぷよぷよ!!クエストアーケード有名拠点として再興することになる。当時小職は石川県民でぷよクエACはさわり程度しかプレイしなかった(高大輔プロデューサーごめんなさい)ため、ぷよクエ時代の様子はよくわからない。当時電気街で対戦された諸兄やGiGOぷよクエACに興じておられた皆さま、拙文をお読みになったら補足や後日談をお寄せいただければ幸いです。



(ここから先は余談)

 “GiGO後”も電気街SEGA店舗は増殖を続け、秋葉原セガゲーセンは現在5店舗ございます。セガ秋葉原1号館(通称:シントクセガ)は、90年代にぷよぷよ通もしくはぷよぷよSUN対戦台が稼働。GiGO改装時に短期間ながらぷよ通&フィーバー対戦台が移籍したり、現在ぷよぷよeスポーツが稼働しているスペースにぷよまん本舗が出店したり、96年にぷよ通100人組手が開催されたこともございました。
 3号館では2011年に20周年記念大会が、翌2012年は秋葉原UDXにて公式大会開催。5号館セガのたい焼きで、ぷよぷよ焼きが販売されたのは記憶に新しいところです。最近はアキバぷよの話題をあまり聞かなくなりましたが、なんといっても世界の電気街。コロナウイルス終息後は、秋葉原にて30周年記念イベント開催を願ってやみません。
 なお本文と関係のない話で恐縮ですが、明日2020年8月10日はバイパスレジャーランド藤江本館ぷよ通対戦台5周年です。皆さまもご存知の通り(?)8月10日と言えば野獣の日、すなわち底上げ野獣連鎖は藤江記念日(意味不明)でございます。おめでとうございます!



 2014年11月23日。
 コンテンツ文化史学会、2014年大会予稿。
(ぷよぷよ通1994~2014 ―AC通の栄光と孤闘―)
更新日時:2020/08/09 12:06
(作成日時:2020/08/09 00:00)
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