ちょっと前に書いて投稿したんだけど、思うところがあって改めて書き直してみた(今は非公開)。
なんというか「何か違った」がしっくりくるかな。もっと素直に表現してみようという試み?
そんな感じなのでよければお付き合いください。
①最近の練習方法?
いや、正直わからん。上手い人を真似る(?)のは変わらない?。うーん…どうなんだろ?。個人的に感じるのは「答えが絞られてきてるなー」とは思う。ぷよぷよキャンプのような場ができて、いろんな人がいろんな角度から表現するから広がりが集束する感じ(?)。
反面、表現が多様化していることで惑わされている人もちらほら。自分にも身に覚えはあるよ(笑)。どれがいいのか分からなくなっちゃうやつね。
あと、効率を意識することが増えた気がする。
あ、ぷよぷよの効率ではなく「練習の効率」ね。なんだろう?覚えたほうがいい技術の中身が確立されはじめているからかそれを優先的(集中的)にやる流れ(?)がある気がする。
間違いではないんだろうけど、それが正解でそれだけやっていればいいみたいな空気を感じるときがあるんだよね。私だけかもしれんけど「攻略=答え」みたいな。
先人がいて、明確化され、それを活用することはある意味「近道」で、それは素晴らしいことなんだけど、だからといって模索しないのは違う気がするんだよ。
いや、誤解を生みそうで表現がすごく難しい(汗)。模索はしているんだけど、あくまで「攻略は知識」。んで、それを活用して身につけることは「感覚」だと思うんだけど、その「感覚」って当人(本人)だけのもので、同じことを言っていても人によって感覚が異なるのは「当たり前」なんじゃないかなと思うわけです。
そうすると自分の感覚を認識(理解)できていないと、そもそも「できる・できない」の判断ができない。そしてその答えを「他」に求めてしまう。分からないから聞くけど、感覚は本人以外分からない。そうすると「他」が答えられるのは基本的に知識(攻略)についてだけ。すると聞いた側は自分の求めている答えにはならないことが多く、余計分からなくなる。
必然といえば必然。盲点といえば盲点。
比較のやり方やそれだけをやればいいと勘違いしていまうとそうなってきちゃうよなー。
②比較?
まわりがどうやっているかはわからないけど、できる人はできるまでやっていることだけはわかる。そこに回数や時間は関係なくて(いや、あるんだけど…)少なくともできるようになるまでやっているんだよね。
そこに回数や時間、練習方法を聞くって、聞かれた側からすると愚問なんだと思う。だってできるようになるまでやっているんだから。
でも、それが分からない人からすると「何かあるんじゃないか?」と。欲(疑い)というか近道というか「効率という名の「楽」」を探しちゃうことがある。んで、聞かれた側からすると「そんなこと考えるくらいならやれ」「近道なんかない」「そもそも本当にやってるの?」とかになる。
聞いてる側は真面目に聞いてるし、そもそも分からないから聞いてると思っていても、やってる人からすると「それはやってない」になることがあるんだろうね。
なんというか、感覚の話だからそれを言語化できて共有できると思っていることが的外れなんだと思う。
まぁ、私個人の思うところ(感覚)なんだけどね。
となると、「できる・できない」の感覚ってどこからくるの?って感じなんだけど、見定めている場所によって変わると思うんだよ。
人によっては練習でできたことを「できる」という人がいる。
・練習 ⇒ できた = できる
また、人によっては実践でできたことを「できる」という人がいる。
・練習 ⇒ 実践 ⇒ できた = できる
さらに、人によっては本番でできたことを「できる」という人がいる。
・練習 ⇒ 実践 ⇒ 本番 = できた = できる
これって大きな違いで、自分の目的地を決めておかないと誰にもわからない。
それと、この「できる」に対して「工夫」も重要。
ここも勘違い(誤解)しやすいところだと思うんだけど、あくまで攻略(知識)はその部分的なものだけを示していることも多く、道筋までは考慮していないことがある。まぁ、道筋のほとんどは個人の感覚によるものは大きいからね。
この工夫をして「できない」のと、工夫をしている「つもり」で「できない」、工夫していなくて「できない」、でも大きく違う。
んで、思いだしたいとすれば、効率という名の「楽」はなく、近道があったとしてもそれは先人の知識(攻略)の活用ぐらいであとは自身の感覚。
③難しいよね
見方や考え方、視点とかは共有し合えるものもあるけど感覚だけはどうにもならんよね。つい「自分はダメなんだ…」と思ってしまいがちだけど、ダメなのは自分じゃなくて方法とか捉え方だと私は思ってる。
できない自分に不安を覚えて誰かに聞きたくなることはあるし、上手くいかなくて甘えたくなることもある。
ただ、たまたまでもできたときは勝敗に直結しなくても誇っていいと思う。これも勘違いしやすいところだと思っているんだけど「できた=勝利」とは限らない。上手くいっても負けることはあるし、まだまだ工夫の余地はある。
それでもモチベーションに繋がったり、自身の可能性の枠を少し広げることにもなる。
いろいろ思うことはあるかもしれないけど、少なくとも私はそういった流れがあっての「今」なので、まぁそれぞれが都合のよい捉え方をしてもらえればと思うよ。
あ、ちなみに私のプロフィール、カエル積みだけの人みたくなってるけど、ちゃんとネット対戦で楽しめるぐらいの技量はあるからね!!プロとかだったら説得力とか増すのかもしれんけど、肩書き関係なく伝わるもんは伝わると思って書いてる…むしろそれが前提まで思っているところがあるから、これを読んだ人がどう思うかはわからないけど、なんか役に立ったり気が楽になったら嬉しい。そうならなかったらスマン。
ん?謝ることでもないか?笑