はじめましての方ははじめまして。そうでない方はいつもありがとうございます。
92年生のタンバリン世代ぷよらー、さかすと申します。(タンバリンの由来は忘れました)
Switchレート最高3200ぐらいの実力です。
ぷよらーアドカレで自己紹介記事が増えていて、それに付随した昔話などにノスタルジーが爆発し、
自分も軽く自己紹介しつつ過去を振り返ってみたいと思った次第です。
現在はあまり熱を入れていないですが、少し前まではゴリゴリの対戦勢でした。
対戦に力を入れ始めたのは社会人になってからですが、
ぷよぷよは間違いなく自分の青春のひとつです。
自分が熱中して打ち込んできたものを振り返るのも良いなと思ったので、
日記のようなつもりでつらつら書いていきます。
※私のぷよらーとしての歴史の7割ほどは公序良俗に反する内容のため、
要所要所で都合よく割愛させていただきます。
■子供~学生時代 ぷよぷよとの出会い
私がぷよに出会ったのはおそらく小2の頃、
姉がスーファミのす~ぱ~ぷよぷよを親に買ってもらったことがきっかけ。
当時は姉のかえる積み(右3列をぷよで埋め尽くして崩すことで偶然の連鎖を期待する
フィーリング連鎖と呼ばれるもの)の派手さにワクワクし、すぐにハマりました。
ただ姉と対戦した記憶はほぼなく、友達ともやらず(友達の家にはプレステがあったのでその方が楽しかった)
もっぱらひとり用モードをひたすらやるか、とこぷよをしてました。
当時から”陰”の才能があったのかもしれません。
絵がかわいくて好きだった
当時は「効率の良い練習方法は…」など考えることもなく、
ただただぷよぷよを消すのが楽しかった。いまは忘れつつある、ゲームを純粋に楽しむ感情。
階段積みもカギ積みもGTR(当時なかったかも)も知らずに連鎖を組み、7連鎖が出来れば喜ぶレベルでした。
それでもちょっとは強い方にはなっていたようで、
ガラケーのぷよ通ネット対戦では勝率5割ぐらいは保てていました。
「自分は宮城県で一番ぐらいに強いのでは」とかガチで思っていました。
ただ当時やっていた
「ぷよぷよ2ちゃんねる」「ぷよふら」などの脱法対戦環境では
負けっぱなしの煽られっぱなし。なりすましでチャットを荒らされるのも経験して怖かったです。
よく対戦しているのを見かけた「resolution」さん、「dandelion」さん、
ログインすると神降臨的な通知までくる「Kuroro」さんは雲の上の存在に感じました。
■2011年~ 大学、社会人1年目 井の中の蛙
地元の大学に進学してからは、ぷよぷよはたまにやる程度。
GTRのことが調べてもよく分からず(アホゆえに)、作り方も分からないので思いっきり無視していました。
とんでもない底上げ折り返しをしてた記憶があります。
そんななか、地元のショッピングセンターでぷよぷよ大会が開かれるというウワサを聞きつけました。
「ショッピングプラザSELVA」と「ぷよぷよプレイヤー selva」がタッグを組んだ「セルバ杯」です。
ショッピングプラザSELVA
「このselvaって人は知らないけど、地元最強の俺の強さを見せつける時がきた!」と自信満々に参加しましたが、
1回戦で誰かも覚えていない人に惨敗して終わりました。「自分は強くなかったんだ」と知りました。
参加者には小さな女の子もいたのですが、見た感じ自分よりも強くて絶望したのを覚えています。
現在知り合っている人で当時ニアミスしていた人が多くいたはずですが、交流する勇気もなくそそくさと退散。
あそこで勇気を出してしまっていたら、ガチ勢の存在や東北大のぷよぷよサークル「TUPP-C」の面々、
特に
ばんきょうさんなどと知り合っていたら、対戦に明け暮れ大学中退して人生終了していたかもしれません。
その後、大学を卒業した自分は就職で上京。
都会に出て浮かれた自分は、ネットで存在は知っていたゲームセンター対戦会なるものが
東京ならさかんに行われているかも、と思い調べてみることに。
結果、住んでいた場所からそう遠くない場所で対戦会が行われていることを知りました。
それが
高田馬場ミカドの対戦会との出会いでした。
■2015年~ 社会人 ゲーセン対戦会の思い出 ぷよらー化
高田馬場ミカドはレトロなゲームばかりが集まる聖地的なゲーセン。
そこで自分は初めてぷよら―と邂逅しました。
雛のすりこみのようなもので、やはり最初に出会った人たちは自分の中では特別です。
たむ?、ぱたも、故人、TENTEN、arendaren、ストーム、ヨダソウマ、かれん、隻眼のシオン、阿佐ヶ谷サタン、nozomin、ゆすと、がらぐ、おーとも、ろき、などなど(敬称略)
最初は現プロのへーょまはが開催していた初心者対戦会によく参加し、
悪い手を打つと「なんでー!?」と優しくネチネチと教えてもらっていた記憶があります。
服部さんことくまちょむさんにもミカドで初めて出会いました。
レジェンドなのに全然そんな扱いを受けていない感じが衝撃でした。(いい意味で)
よくいる面々と対戦のあとは食事に行ったり、馬券を買ってたむ?邸で
競馬を見ながら騒いだり、みんなが桃鉄してるのを眺めたり、けものフレンズカフェに行ったり、
過去に失踪したらしい人の家「あきら邸」で団長(Kuroro)も交えて遊んだりと楽しい日々を過ごしました。
その後はなんやかんやあってミカドから歌舞伎町のカーニバルというゲーセンに対戦会が移動。
こけとみ、Notchi、サボリ、ムネ、ときつ、しぐ、マッコリ、ぼんた、しませい、あおジソ、めぇBC、Death-cute(敬称略)
など交流もさらに広まりました。
対戦会後はよく新宿のメロンブックスに行き、エロ漫画について語り合ったものです。
新規で来た人もよくエロ漫画会に連れていきました。
dorapomさんは(たしか)二度と来ませんでした。
ミカド、カーニバル以外にも関東では多くの対戦会が開かれており、
鹿島田マットマウス、蕨デイトナ、津田沼エース、松戸ソニックビーム、立川オスローなど
色々な対戦会に足を運びました。
後にプロとなるレインさんと初めて出会ったのが松戸ソニビなの、今思いだすとわらいます。
ぷよぷよを通じた、本名も職業も知らない人たちとの交流はなんとも心地よかった。
間違いなく青春の思い出です。今では思い出のゲーセンがほとんど閉店してしまい、寂しい限り…。
閉店したカーニバルから開催場所を移した「新宿スポランACぷよ通対戦会」は、
今でも金曜よるにやっているのでぜひ行ってみてください。常設もたしかあります。
ミカドもぷよぷよはないと思いますが現役です。
自分がぷよらーに染まっていった2015年頃から、アーケードぷよ通のS級リーグが
レッドブル本社で派手に行われたり、テレビ番組eスポーツMAXの大会が開かれたり、
ぷよ界の風向きが変わっていった頃なのかもと振り返ってみて感じました。
マジカルストーンのもろもろがあったのもこの頃ですかね。トルネードスラッシュ!
■2017年~ ネット対戦時代 狂人(くるんちゅ)化
ニンテンドーDSぷよぷよクロニクルの発売で、公式のぷよ通ネット対戦文化が発達していきました。
ぷよぷよテトリスのレートではどうしてもテトリスとの対戦が発生するから…。
その頃に現在も行われている「おいうリーグ」が初開催。現プロのぴぽにあさんのことはその時まで
知らなかったのですが、今では一番大好きなプロ選手です。愛しています。
愛が行き過ぎてTwitterでブロックされました。
また「おいうリーグ開催直前で辞退する」というウワサだけを聞いて、当時面識もない、強豪のくじらさんというプレイヤーのことをボロクソに批判したのもこの頃です。実際は辞退なんてしないというか仲間内の冗談のようなものだったのにそのような反応をし、くじらさんには本当に申し訳なかったです。
ネットでの交流のなかで、自分の中の狂人(くるんちゅ)が肥大化していきました。
ある暴言が理由で
Twitterが完全凍結・登録もできなくなったことで、
ぷよぷよキャンプの記事や
コメントをSNS代わりにしたり、自分専用のぷよぼLINEグループを作ってもらったりしました。
みんなぷよキャンという名の独房に面会しにきてくれていました。
一応ですが凍結した際のツイートはリプでも引用でもなく、また直接的な暴言ではなくスラングでした。
凍結理由はスラングとはいえ規約に引っかかったのと、件の人物が問題のある人だったのを盾に
色んなアカウントでしつこくリプをしたためだと思います。
今でも治っていないどころか悪化していますが、自分のそういう人間性は本当に反省すべきところです…。
もろもろの言動含め不快な思いをさせてきた皆様、改めて申し訳ございませんでした。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
家にいてもネットで無限に対戦相手が見つかるため、ゲーセンは足が遠のきがちになってしまいましたが、
ぷよの強さはここらへんで大きく伸びた気がします。
SNSでの交流も増えたことで、いよいよ顔も知らないけれどよく対戦する人ができたり、
地方のぷよらーの存在も認知したことで、アーケードの大会も含めて日本各地に足を運びました。
石川、静岡、福島、愛知、大阪、広島…よくもまあ色々行ったものです。
余談ですが、就職の面接でこういう話をすると食いつきがまあまあ良いです。結果には結びつきません。
石川でべ~たさんの家に泊まらせてもらった時は、えちごくんに
「さかすさんのイビキがうるさい」と言われました。自分には聴こえないので知らないです。
福島のあぶくま洞での大会のような催しは全国各地でもっとやっていいと思う。
またこの時代の少しあとですが、広島の広ぷよフェスタに参加した時は、
ぢーくんことDIOさんの家に泊まらせてもらいました。
一人暮らしのはずなのに、なぜかベッドや冷蔵庫が2つありました、なぜだろう…。
この時、自分はベッドで寝て、マッキーさんを床で寝させてたらしいです。
最強を床に寝かせてしまいすみませんでした。
ぷよ界隈全体でも遠征する人が多くいたので、時にはぷよらーを家に泊めることもありました。
今まで泊めたことがあるのは現プロのMGR、Notchi、当時静岡勢のがまずみ(敬称略)という謎メンツ。
当時は隣人が独り言をずっとつぶやいている老人で自分は常にキレていたのですが、
人を泊める時はなぜか静かだったので幻聴扱いされました。本当に自分が狂ってたのかも。
2017年頃に転職して職場が飯田橋になった頃、職場から東京理科大が徒歩5分かからなかったのと
えちご、たくらだ、fame、ぐー、たまや、よわぼん、のたこなど知り合いも多かったことから
東京理科大学のぷよサー「TOP」の活動にもよく参加していました。
いつまでも学生気分でいる社不人間とはいえ、こんなおぢさんを混ぜてくれていたことに感謝です。
■2018年~ eスポーツ時代 やりきった感
ぷよぷよeスポーツが販売される少し前に、ぷよぷよのプロゲーマー制度が誕生。
プロライセンスが与えられるぷよぷよカップという大会の開催も決まりました。
記念すべき第1回は抽選だったのですが、自分は運良く当選。
参加人数も少なかったので、今思えばあの時が一番のプロになるチャンスでした。
雑居ビルの広い一室みたいなところでやった思い出…。
結果はその場でプロになったmetaくんに負けての予選2位で敗退。
れお(マッキー)、MATTYAN、えさし(敬称略)がプロになる瞬間を見届けました。
それ以降のぷよカップでもプロ選手が続々と生まれていき、大会もド派手に開催するようになり、
大きなムーブメントの中にいる感覚がありました。あれを経験できて良かったです。
個人的にはヨダくんが番狂わせで優勝し、「吉田のための大会」となった
2019年東京ゲームショウ特別大会が一番よく覚えています。
あと椿彩奈さんがかわいかった。ぷよぷよ×クラブイベントで握手したのが思い出。
その日は
ずにゃさんに乳首をいじられながらぷよぷよしたのも覚えています。
自分もぷよカップには出続け、なかなか結果が出せずにいたのですが、
2019年11月のぷよカップの予選でついに全勝、決勝トーナメント進出を果たしました。
現プロの飛車ちゅうさんが置きミスをしたおかげでした。
最終戦で無事に勝って予選通過が決まった瞬間、嬉しさのあまり
号泣しました。
自分の結婚式で泣いた時より泣いたと思います。
努力らしい努力もしていませんでしたが、頑張ってきたことが報われた経験としてはこれが人生最大です。
余談ですが、自分が泣いている様子に知り合いのぷよらーが「泣いてる…」とドン引きし、
そのことで別の知り合い(当事者同士に面識はナシ)に怒られたそうです。
自分が泣いたばっかりにすみませんでした。
決勝トナメでは1回戦で、和樹さんにセット1-1まで粘りましたが負け。
和樹さんはそのまま準々決勝であかじこうさんを破ってプロになりました。悔しさもありましたが、
眺めるだけだったぷよ界の大きな流れの一部になれた気がして嬉しかったのを覚えています。
ここらへんで交流ができたぼの、わいるさん、ムナさんらへんとボルダリングしたり、
大会参加の流れで参加者と飲みに行ったり、レンタルハウスみたいなところで夜通し遊んだり、
大会以外での思い出も多いです。ぷよカップ、チャンピオンシップがきっかけで知り合った人も多いかな。
上野のBUZZ esportsで行われていた対戦会の上野BPTや、大会の飛車ぷよにもよく参加していました。
いつか忘れましたが、超レジェンドのミスケンさんと上野で対戦できて、1セット取れたのも良い思い出。
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その後、2020年にコロナのパンデミックが発生し、世の中は自粛ムードに。
ぷよカップなどもオンライン開催などになり、ぷよらーと顔を合わせることも減りました。
さらにその頃、自分が今の妻と同棲を始めたこともあり、ぷよぷよ自体をやる時間が減っていきました。
ネット対戦はしていましたが、オンラインのぷよカップにはおそらく一度も出ていませんし、
国体も参加していません。飛車ちゅうさんが開催する飛車リーグも一度出たのみです。
自分の中では、ぷよカップの予選を抜けたあの時が「やりきった瞬間」になってしまったのかも、
と今は思います。
■2020年~ 現在 これからもぷよらー
ぷよ界隈ではよく引退を宣言する人がいますが、そういう人の大半は戻ってきます。
本当にいなくなる人は、いつの間にかグラデーションでいなくなっていく。
自分が結婚や転職を機にますます積極的な活動から遠ざかったのも、
まさしくグラデーションで引退していったようなものです。
自分は思っていたより、人との交流が楽しくて好きだったのかもしれません。
リアルでぷよらーに会う機会が減っていくにつれ、熱も冷めていくのを感じていました。
プロ大会や最強リーグなども時間がある時は観ていましたしアツくなりましたが、
前ほどのめり込むことはなくなりました。
ぷよ界隈で、きな臭い話題やトラブルが起きるたびに首をつっこむ程度です。
ぷよへの熱量を保てなくなったことは寂しさもありますが、
近年は仕事もやりたいことにシフトできていって楽しくなってきたり、子供が生まれたのもあり、
情熱をかけるものが変わっていくのもまた人生っぽいなと感じます。
2024年に復活したおいうリーグには、懐かしさもあり久しぶりに長期リーグ戦に参加しました。
勝つことも目指していましたが、こういった
ムーブメントに参加する感覚をまた味わいたい、
頑張って界隈を盛り上げてきたぴぽにあさんに貢献したいという想いの方が大きかったです。
今後はまたレートをやる程度に戻ると思いますが、機会があれば大会やオフの場にも顔を出したいと思います。
30歳も超え、親族や友人でも亡くなる人が出てきたりして、以前よりいっそう
「人の縁を大事にしたい」という想いが強まりました。SNSでは狂人(くるんちゅ)の自分ですが、
実は人との繋がりは大好きです。
2022年頃にゲーセン・蕨デイトナの対戦会創設者のあきゅあくんを誘って新宿で行われた大会に行った際、
「おかげで久しぶりに会えた人もいたから感謝」と言っていたのですが、
みんな足がしばらく遠のいていたとしても気兼ねせずまた参加すればいいと思います。
催しの盛り上げにも繋がるし、せっかく人間に生まれたからには人との繋がりはなるべくなら
大事にとっておこうよという気持ちです。(切りたい時は切ろう!)
どこかでお会いした時「話してやるか」と思えた人はぜひともよろしくお願いいたします。
ここまで主に2016年以降の8年ほどを振り返りになりましたが、かなりの文章量になってしまいました。
6700文字ぐらい!それだけ色んなことがあって、楽しかったんだと思います。
最近は小学生が最強格に食い込んできたり、すごい時代になってきたなと感じています。
自分が愛したぷよぷよの楽しさが、もっと多くの人に広まってほしいと願っています。
あとぴぽにあさんは体調優先でやってほしい。
ぷよらーの皆様も情熱を傾けるあまり、他が崩れることがないよう、体調にはお気をつけください。
まだこれからもプレイしますが、ぷよぷよ、ありがとう。