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ぷよぷよと『マナ悪』の文化形成

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日本語はハイコンテクストな言語である。
その情緒の豊かさは裏返ることにより、言外の意図を汲んだり、察する文化を日本に形成してきた。
いわゆる「空気を読む」というやつだ。



京都でぶぶ漬けを薦められたら帰らなければならないし、
異性の家に夜遅く一人であがりこむのは何かしらの覚悟を持っていないといけないし、
そういった十重二十重の常識やらマナーで形成されてきているのが社会だ。



さて、以前記事で挙げたようにゲームの界隈というのは、傾向として社会性の欠落した子が流れ着きやすい場である。
彼らは悪いわけではなく、ゲームを介して円滑にコミュニケーションを取ろうとする中で、ただ想像力が働かないだけだ。
「禁止はされていないが、やらない方が穏便に済むこと」についても、その理由を想像できないだけなのだ。
これが『マナ悪』の原因となっている。




・『マナ悪』とされる行為とその理由
以降、「される側がどう感じるか」に焦点を当てて考えていく。



◆毎試合速攻
エンジョイ勢…大きな連鎖を組ませてもらえないから楽しくない。
ガチ勢…中盤戦を含めた練習をしたいのに無理やり乱戦にされて練習にならない。
というように、両者からひんしゅくを買う行為である。戦法として認められている行為であるにもかかわらずだ。


ところが面白いことに、レベル帯が上がると感じ方が変わるケースも存在する。
近々において画面最上部で戦う「終盤戦」の概念を提唱したのは僕なのだが、
この終盤戦を練習したい人間にとっては、今度は中盤戦が忌み嫌われる対象となるのだ。
構図としては、中盤戦を練習したい人間が、速攻を忌み嫌うのと全く同様なはずだが、
圧倒的マイノリティであるがゆえにこの思考はあまり理解されないのである。
よくマッキーくんが一人でぼやいている。




◆自由落下・確定発火・カサカサ煽り
これらは本質全部一緒である。
されている側が「バカにされている」と感じる行為だからだ。


断言すると、これは行為を行う側の問題ではなく「バカにされている」と感じる側の問題である。
空気に敏感になろうとしすぎて被害妄想の域に達しているからだ。
Twitterなどオープンな場で「私が不快なのでそんなこと呟かないでください!」と声高に言っている人と実質同じだ。
そういったナイーブな精神状態がどうして生まれてしまうのかについてはまた後述する。




◆真似ぷよ
単純にずるいし面白くない。互いに考えるべき思考ゲームで、自分だけ思考を放棄しているからだ。
『マナ悪』の話をしてもなかなか議題に挙がらないほど、根強く禁忌として認識されている行為である。


ルールに抵触せず、戦略としてはそこそこ有効なのがより禁忌に拍車をかけているように見える。
対策は簡単で、真似をさせない行程をどこかに挟むだけでいいのだが、その絵は互いに自由落下する図となり非常に見ていて寒い。
そんな誰もがつまらんことは最初からせずに、自分の実力で戦おうぜというのがスポーツマンシップと言えばそうである。
あめみやくんが僕との公式対戦で行ったことが一部話題になったりしたが、これについての意見もまた後述する。




◆意図的に自分のレートを下げる
僕が唯一大嫌いな『マナ悪』行為。
他ゲーム界隈でも問題として良く挙がる「初心者狩り」や「捨てゲー」につながるものであり、擁護の余地は一切ない。
自分一人でゲームをやっているという傲慢な感覚のもとでないと、ここまで自分勝手な行為は普通できない。


実力のブレ幅が大きくて増減が激しくなってしまうのは仕方がない。
みなが勝ちを目指して取り組んでいるからこそ、レートという指標にある程度の価値を持たせられることを全く理解していない。
いちいち表に出すことはないが、それらしき行為を目の当たりにすると、エーミールよろしく「そうかそうか、きみはそういうやつなんだな」と心底軽蔑している。




◆暴言・誹謗中傷・嫌がらせ
ゲームとか以前に、人間としてやっちゃダメなラインは守ろうぜ。まず、人間になろう。




・空気を読みすぎることは自分を追い詰める
空気が読めるというのは、想像力が働くということだ。
ただ、自分がネガティブな気持ちを多く内包している場合、「相手も自分にネガティブな気持ちを持っているんじゃないか」という想像になりやすい。



その結果、なんでもない休憩の自由落下が自分をバカにしているように見えたり、
連鎖を確認したいだけの確定発火が死体蹴りに見えたり、
操作確認のためのカサカサに苛立ちを覚えたりする「地雷の多い人」になってしまうのだ。
これは相手の問題ではない。自分の心のネガティブさや、人を見下す気持ちが起因している。




そういう部分には鈍感になることを覚えていかないと、おそらく自分が辛くなっていくだけだろう。
自分だけならまだいい。自分が空気を読んでいることを理由として、人を攻撃する人達がいる。
『空気を読むことで、空気を読めないやつを弾圧するのが、君達にとっての正しいことなのか?』
と、たまに投げかけたくなる。




・いい方面での「空気の読めなさ」を持つべき
「ルールに縛られてないから何をやってもいい」
これは正解の側面と、不正解の側面を持っている。時と場合に応じる、としか言いようがないからだ。



例えば、「本線を撃ってから相手の首を絞めれば勝てる」みたいなことをする人は当然いない。
これは、みんなちゃんと最低限のライン引きをしている証拠なのだ。
そこにいる全員の中でぼんやりと引かれているラインが、「空気」と呼ばれるものだ。
時と場合によって、そのラインは変動する。




一見「空気が読めない」ように見えて、俗に『マナ悪』と呼ばれる行為に及ぶ人の中には、今までのラインや常識を疑っている人もいる。
ルール上問題がないことについては、とりあえず何でも試してみる経験が上達には必要だと判断しているわけだ。
あめみやくんや、マッキーくんのそういう飽くなき探究心は、それはそれで評価されるべきだなと僕は思っている。
彼らは、公式の場においてしっかり「空気を読める」人達だろう。




周りに合わせるだけで、思考しないでいると人と違うものは得られないのだ。
人と違うものを得るために、常識的に、常識を踏み越えられる人になろう。




・結局どうすればいい?
想像力を働かせて、お互いに楽しくプレイできるような言動を心掛けよう!



おわり
更新日時:2018/07/26 12:48
(作成日時:2018/07/26 12:44)
カテゴリ
上級者向け
コメント( 1 )
梨缶-nashican-
梨缶-nashican-
2018年7月27日 12時28分

お初にお目にかかります。梨缶と申します。
とても分かりやすい記事でした。私は初級者だということもありますが、頭の回転も速くないので速くないなりに考えて、だからこそ疲れて連鎖の後は手を止めてしまうこともあるし、かといって点数計算ができる訳ではないので連鎖をしても返されるかもしれないと思って追加で撃つ時もあるし…。
あとは対戦ゲームだから仕方ない部分もあるかもしれませんが、相手とのコミュニケーションをとる手段が少ないのも問題かと思いますね。 相手の性格が見えてこないので尚更印象が悪く感じてしまうのだと思います。

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